コルトレーンがピアノレスにこだわらないのは何故かしら?
前にも書いたが、最近の音楽の聴き方は、
もっぱらItunesによる保存音源のランダム再生である。
サブスクのお陰で、旧作から新譜までありとあらゆる作品にアクセスでき、
気に入ったものはダウンロードし、あとでゆっくり聴く。
良い時代になったものだが、
やはり若かりし頃のどのアルバムを買おうか盤をワクワクしながら手繰り探し、
手にした時の満足感と高揚感は、今ではない。
ランダム再生して、最近つくづく思うことは、
コルトレーンの演奏が流れると、散漫な意識状態から、
自動的に集中モードになること。
やはり、ただならぬ説得力がコルトレーンにはある。
コルトレーンに影響を受けた後継者は数多いるものの、
自分にとって、コルトレーンが持つサウンドの魔力、存在感を超える
サックス奏者は他にいない。ロリンズ以外には。
ところで、このアルバムを取り上げたのは、
ピアノレストリオというフォーマットで演奏しているコルトレーンを
聴くことができるアルバムだからである(1〜3曲目)。
そう、ロリンズがピアノレスで真価を発揮みせたのに対し、
コルトレーンは、このフォーマットに拘りはなかったのではないかと。
冒頭のライク・サムワン・イン・ラブを聴くと、実に淡々と吹いている。
自らの即興を、ピアノレスにより自由さと奔放さを増し、煌めいていった
ロリンズと比較して、やけに淡白であるし、気負いもない。
コルトレーンは、ピアノが入ろうが入らなかろうが、関係なし、変化なしなのである。
むしろピアノが入った方がコルトレーンのサウンドは鮮やかに浮き立つとさえ思える。
ロリンズもコルトレーンも即興を極めて精進した人であることは間違いない。
ただ、ロリンズは調性(トーナリティ)に色付けしやすいピアノの関与から
解き離れて、サックスという楽器の即興性をより純化し、飛翔させたのに対し、
コルトレーンは、晩年の演奏は除くが、楽器の即興性を追求しながらも、
グループサウンズとしてのトーナリティを第一に尊重していたのではないか。
即興が飛翔するというよりも、深化していくといった印象。
飛翔していくロリンズの即興もなんとも魅力的であるが、
深化していくコルトレーンの即興も説得力がある。
こうやって、サックスの巨匠二人を分析してみるのも面白い。
1 Like Someone In Love
2 I Love You
3 Trane's Slo Blues
4 Lush Life
5 I Hear A Rhapsody
1-3 Earl May(b) Arthur Taylor(ds)
4 Donald Byrd(tp) Red Garland(p) Paul Chambers(b)Louis Hayes(ds)
5 Red Garland(p) Paul Chambers(b) Albert Heath(ds)