小曽根真について考える
小曽根真は、
既に、かなり前から、
今や日本のジャズミュージシャンの
精神的な支柱となっている感がある。
彼のプレイの卓越さだけでなく、
いろんな面で配慮ができ、
そのポジティブで開かれた印象の人間性からも
絶大な信頼を得ているのであろう。
私自身、
小曽根真の実際の演奏に接したことは2度ほどしかないが、
まず、一番印象的なのは、
楽しそう、嬉しそうに弾いている姿である。
弾いている最中の視線も、
エバンスのように内省的な下向きではなく、
一緒に演奏するプレイヤーに時には微笑み、
時には挑戦的な視線が向けられている。
こうした印象は、非の打ちどころのない
緩急がついた、良く歌う正確なプレイと
相まって、観客にとっても、
何かほのぼのとした一体感を
与えるような効果がある気がする。
この前、壺阪健斗という素晴らしい若手の
ピアニストの演奏を聴いたが、
その舞台での仕草、様子は、
まるで小曽根真を見ているようだった。
でも、正直、私にとって小曽根真のピアノは、
「おー、うまいなあー」と
いうところで止まって、
それ以上、心の奥深いところまで、
沁みわたってこないのである。
なぜなんだろう。どうしてなんだろう。
彼のプレイは、私も恥ずかしながら
ジャズピアノを弾くので、
コピーしたくなるし、
もの凄いことやってるなぁ、
いつも精進して、チャレンジングだなぁ
と感心するし、
実際、CDもたくさん持っているのである。
だからやはり、かなり好きなのであり、
気になるアーティストなのである。
でも、でもなんです。
言いようのない沁みわたる感覚を
味わう境地までには、
残念ながら至らないのである。
キースやハンコック 、ロリンズの
即興のように、
自分が戰慄してしまうようなことは
ないのである。
なぜなんだろう。どうしてなんだろう。
あの健全な風貌と卓越した
無駄のない演奏が気に入らないんだろうか。
丁寧に考察してみたいと思う。
まず一つは、
小曽根の音楽の印象の一貫性である。
基本的には、昔から変わっていない気がする。
本人からも、他のファンからも
異論があるかもしれないが、
1984年に発売された「OZONE」
というデビュー・アルバムに
基本、彼の本質が凝縮されていると、
私は思うのである。
勿論、このアルバムをスタートに、
世界をまたに架けて、
幅広い音楽活動を繰り広げる中で、
音楽的にも変化があり、
成熟していったのは間違いない。
しかしである。
未だに、自分にとっては、
小曽根真の音楽の印象は、
これまでと変わらないし、
深入りしていかない。
なぜなんだろう。どうしてなんだろう。
確かに、
日本の若手のプロジャズピアニストに、
スタイルの影響を受けたほ誰かとか、
大好きなピアニストは誰かと聞いても
小曽根真の名前を挙げる人は
少ないような気がする。
不思議である。
凄いプレイヤーだと誰しも認めるし、
精神的支柱でさえあるのに、
執着、耽溺するほどの
サムシングがないというか。
なぜなんだろう。どうしてなんだろう。
簡単に言ってしまうと、
今も昔も「オリジナリティ」というか
「その人特有の匂いみたいもの」を
感じないのである。
小曽根の恐ろしく素晴らしい
スタイリッシュで、非の打ちどころがないと
思える演奏は、結局、
どこかで聴いたことのある
極上のエッセンスを、非常に高度な手法で
再編集しているのであって、
この高度編集力こそが、
小曽根の「オリジナリティ」であり、
特筆すべき所なのかもしれないが、
そうした性格の音楽に、
自分は耽溺できないのかもしれない。
一方で、私は「オリジナリティ」
という言葉も過度に信用はしていない。
池田満寿夫が指摘している様に、
芸術なんてものは、
ある意味、「模倣」に始まり、
「模倣」に終わるものだと思うからである。
模倣こそが芸術の本質というのは真理である。
誰かから、何かしら影響を受けていない
アーティストなんか、あり得ないし、
そんな人が仮にいたとしても、
極めて独創的だと手放しで
評価されるべきのものでない気がする。
一人の優れたアーティストの根底には、
必ずルーツとなる何かしら、
先人のスタイルの影響があるのである。
人間の思考や感情、表現というものは、
何かしら外部からの刺激を受け、
それを自分というフィルターを通じて、
表出されるものであるが、
音楽の場合、先人のプレイに刺激を受けて、
模倣したくなり、自分自身の表出の仕方を
試みていくわけである。
その表出の仕方に、
その人固有の「癖」と「表情」というものが
立ち現れてくるのが普通である。
そして、その「癖」や「表情」の
あり様そのものが、
その人の味として、魅力を感じたり、
感情移入できるものなのではなかろうか。
そのように考えたとき、
小曽根真に感情移入できないのは、
つまり小曽根というフィルターの性能が
凄すぎて、
過去の偉大なパーチュオーゾの音楽が、
そのまま高精細に、いやむしろさらに
磨き上げられて美しく表出されて
しまったような音楽に聴こえてしまう
からではないか。
やはり、音楽を聴いて、心底惚れ込んでしまうポイントというのは、
誰かからの影響を感じさせつつも、
その人固有の癖、過剰さ、アクセント、
変換のあり様にあるのであり、
そういう意味で、
小曽根の変換(アウトプット)は真面目で、
見事すぎて、馬鹿正直すぎて(ごめんなさい)、完璧すぎて、少しも屈折しておらず、
物足りないのかもしれない。
と、ここまで分析して、
ブラッド・メルドーのことを論じたい。
まず最初に、彼こそは、
現時点で最高峰のジャスピアニスト
だと仮定したい。
あまり、音楽に比較の思考を
取り入れたくはないが、
やはり彼の存在は、飛び抜けている。
そして、さらに彼の語り口は、
やはり、これまで聴いたことのない
「癖」と「表情」がある。
メルドーの場合、「癖」が非常に
多様(特に「ノリ」の多様性)で、
なんで、こんなアプローチの演奏を
するんだろうと、
時々妙に覚めてしまう時もあるのであるが、
いざ、心に入り込んでくると、
もう沼の状態になってしまう。
こんなことは、小曽根真のピアノでは、
自分としては起こらないのである。
メルドーは、歴史上の偉大な
パーチュオーゾの魅力を
ちゃんと消化していることは
彼の演奏を聴くと間違いなく窺い知れる。
そして、その伝統の語法が
しっかり沁みとおっている中で、
彼のまさに独特な解釈や個人的なこだわりが、ブレンドし、得も言われぬ「ノリ」を
醸成しているのである。
そのあり様が、極めて個性的で、
作り物の感じがなく自然で、
魅力に富んでいるのである。
別の言い方をすると、
無骨さとスマートさを両方備えている。
本当に上手いなあと思うピアニストは
一杯いるけど、
懐が深く、手の内が予想できない
スリリングかつ意外性のあるアウトプットが
できるアーティストは少ない。
小曽根真とメルドーの違いについて
考察するとき、
両者のスタンダードナンバーを演奏した時の
アプローチや語り口の印象の違いを
挙げてみよう。
まず、
小曽根真は
「客観的でとても分かりやすく親しみやすい」のに対し、
メルドーは
「主観的なこだわりが強いわりにエレガント」なのである。
次に、
小曽根真は
「やはりチック・コリア的」であり、
メルドーは
「誰でもない」のである。
最後に、
小曽根真は
「スマートであるが無骨でない(健康的で真っ当)」であり、
メルドーは
「神経症的で執拗な」のである。
小曽根のスタンダードは、
「なんだか予定調和」なんだけど、
メルドーのスタンダードは、
「もうやめて。でも気持ちいい」なのである。
やはり、聴いたことのない違和感、
得体のしれないものに触れている
時のながれの中で、
ふとした瞬間、あるフレーズが心の隙間に
スルッと入ってくるようなことが
起こりうるのが、メルドーなのである。
ここまで、思いつくまま、ダラダラと
小曽根真に惚れ込んでしまわない理由を、
認(したた)めたが、
小曽根真の音楽が超一級の
ジャズ音楽であることは
疑いようがないわけであり、
日本が誇る、世界的ミュージシャンであることは誰しも否定できない。
すでに、小曽根真も私同様、還暦を超えた。
実は、最近、若手を従えた
Trinfinity」を聴いて、
これまでの印象が、少し変わったのである。
言い表しにくいが、
音の表情がすこし、変容している。
相変わらず、正確無比な演奏で、
やっぱり変わらないなぁと
落胆するような曲もあるが、
冒頭の「ザ・パス」のアプローチ、
曲構成が実に素晴らしいし、
もどかしささえ感じるピアノの弾きっぷりが
新鮮である。
8曲目のバラード「インフィニティ」
なんかは、還暦を過ぎた者しか
出せないような凄みと共に、
枯淡さといおうか、諦観といおうか、
フラジャイルな面も感じられた。
これからの小曽根真に新たな期待が
できる予感がして、
こんな振り返りをしてみたくなったのである。
いやー長文になってしまった。
1. ザ・パス
2. スナップショット
3. ザ・パーク・ホッパー
4. デヴィエーション
5. エチュダージ
6. モメンタリー・モーメント 1/10先行配信
7. ミスター・モンスター
8. インフィニティ
9. オリジン・オブ・ザ・スターズ
小曽根真:piano
小川晋平:bass
きたいくにと:drums
with
パキート・デリベラ:clarinet on 5
ダニー・マッキャスリン:tenor saxophone on 3, 4
佐々木梨子:alto saxophone on 3
二階堂貴文:percussion on 5
2023年8月25日&26日
ニューヨーク、パワーステーション・バークリーNYCにて録音